読書録1

今期履修した科目でC言語を使うやつがあり、少しC言語について勉強してみた。可能性のある分野、手段であるので、プログラミングの価値を知りたくなった。これ関連で本屋をぶらりとして、目について購入した本について書こうと思う。

 

”教養としてのプログラミング講座”

清水亮著

中公新書ラフレ

 

ここで、アフィリリンク貼るのが定番だけど、しばらくは貼らない方向でいきますね。

 

話逸れますが、最近YouTube見てるとひと昔流行ったメンタリストのDaiGoを起用したプログラミング講座のCMが流れる。あのCMをフルで見ればだいたいなことはわかるが、本書に寄せて書いてみる。記憶を頼りにして書いているんで持論がすごい混じってる。それをいちいち明記すんのだるいんで、ぐちゃぐちゃです。メモみたいな感じです。いずれは文章になると思います。

 

未来の政治、経済を語る上では欠かせなくなったGAFA。その創始者プログラマー出身者である。経営をしたことがない人がそこまで大きくなれるかってところでプログラミングの特徴が出る。プログラミングの特徴として、相手にするのは言葉以外でも意図をくみ取ってくれるような人間ではなく、指示された通りのことしかしないコンピューターであり、寸分の間違いなく指示する必要がある。これは言い換えると、どんな人が相手でも的確に指示が出せる技量が自然に身につき経営の素質の身につくということである。また、ソースコードを書くエンジニアのやるプログラムより広義的に捉えると、自分がいなくても人や物が動くこと。プログラムは設計者がずっと見ていなくてもだれが操作しても同じように動く。経営も経営者が少し外出してるからって、休暇をとっているからって、業務が止まるわけでもないし、プロジェクトは動く。教育は、卒業した後も先生や親から教わったことが基となって人は成長する。

 

ディープラーニングのプログラムは短い。

 

複雑で長い文を思い浮かべそうだが、短いようである。なぜそうなのかはよくわかっていない。人工知能というのは計算というより直感で判断するらしい。手順をプログラムですべて与えるのではなく、ひたすら読み込ませることで、出力させる。

私としては、人間の直感は今までの経験からできていて、同様にコンピューターの言われている直感も膨大なデータの蓄積から使えるデータを引っ張りだしていることだと思われる。

 

考えるという行為は難しいことではなく、直感を磨き、言葉で辻褄を合わせているだけなのでは?

 

AIが叫ばれる昨今では”考える”ことについて投げかけられる場面が増えたが、本書により、考えるとは実際のところなんなのか改めて考えさせられた。

 

プログラミングの価値は

自分がいなくても同じように動く仕組みを作ることで職業でいうと、経営、教育、医者などで、これらはどれも高給である。実際にいなくても人々に影響を与えることが人に価値を与え、お金という形で価値が返ってくることがわかった。

 

プログラミングが今年度から義務教育でも導入された。プログラミングそのものを教えるというよりは思考法をメインに考えているのだろう。教養として語られる日が近いかもしれない